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「物の怪」から「妖怪」へ

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作品モチーフとなる「物の怪」

「物の怪(もののけ)」は、「人間以外の物」が引き起こすこととして、日本の民間信仰において、比較的大きな役割を占めてきました。主に、人間の理解を超える奇怪で異常な現象や、あるいはそれらを起こす不可思議な力を持つ非日常的・非科学的な存在のことを指します。

現在では「物の怪」の存在の実証はされておらず、科学が未発達だった時代の呪術的思考の産物や迷信とみなされることが多いですが、日本人の心や思考のあり方を表すひとつの事柄でもあり、美術・芸術・文学や、最近では漫画や映画、ゲームといったさまざまな作品のモチーフになっています。

「物の怪」から「妖怪」へ

平安時代の中期には、清少納言が『枕草子』で「いと執念き御もののけに侍るめり」と記し、紫式部も「御もののけのいみじうこはきなりけり」という記述を残しており、「物の怪」という言葉がこのころに登場してきます。※「物の怪の歴史」参照

その後、「物の怪」は、人間のその周辺に災厄をもたらす存在そのものとされるようになり、「妖怪」という言葉が使われ出してきます。『太平記』の第5巻には「相模入道かかる妖怪にも驚かず」という記述があり、「妖怪」が定着してきたことをうかがわせます。

畏怖の対象からエンターテイメントへ

江戸時代、妖怪図鑑『夭怪着到牒』が出版されます。これは「黄表紙」と呼ばれた江戸時代の絵本ですが、序文に「世にいふようくわいはおくびょうよりおこるわが心をむかふへあらわしてみるといえども……」とあり、これはこの時代からすでに、妖怪を研究しながらも、その妖怪の実在性を疑問視していた人がいたことを示しています。物の怪や妖怪の概念が、「畏怖の対象」から「エンターテイメント性をもった想像上の産物」へ徐々に移行していったことを示唆しています。

この時代の印刷・出版技術の発展とともに出版文化が発達していき、妖怪は出版物の題材として盛んに採用されるようになります。また、それらの書籍を扱う「貸本屋」の普及や利用により、庶民の中で各々の「物の怪」「妖怪」の様相が固定し、それが日本全国に広がっていきました。

今、世間によく知られている「妖怪」像の多くは、このころに定型化されたといえるでしょう。例えば、「河童」に類する妖怪は江戸時代以前には、日本全国に多くの様相や解釈がありましたが、書籍の出版によって、それが現在の、「頭上に皿」「緑色」「指の間に水かき」といういわゆる「河童」の像に固定化されていきました。また、駄洒落や言葉遊びなどによってこの時代に創作された妖怪も数多く存在し、現在でいえば妖怪辞典のような位置づけであろう鳥山石燕の『画図百鬼夜行』は、そのような妖怪を扱った書籍の一例です。

加えて、江戸時代には『百物語』のような“怪談会”の流行もありました。そのような中、怪談の語り手がまだ世間に知られていない未知の怪談・妖怪を求めた末、個人によって妖怪を創作してしまうといったケースも多々あったと考えられています。この創作によって生まれた妖怪は、妖怪のエンターテイメント化を一層促進した要因のひとつと考えられています。この類の妖怪には「傘化け」や「豆腐小僧」が知られています。

娯楽文化としての妖怪

このような文化としての妖怪の普及により、江戸時代を通して妖怪は、かるた、すごろく、めんこなど、娯楽の対象や子どもの玩具のためのキャラクターとして用いられるようになりました。また、妖怪は「浮世絵」などの画題としてもよく描かれ、妖怪を描いた絵師として有名なところでは、歌川国芳、月岡芳年、河鍋暁斎、葛飾北斎などが挙げられます。また、このころ、狩野派の絵手本としても『百鬼夜行図』が描かれています。

江戸時代、出版文化の発達に伴って、それまでは寺社などに秘蔵されていた妖怪画が、錦絵や版本として人々が身近に接することのできる存在となりました。このことにより、本来は畏怖の対象だったであろう妖怪が、人々にとって親しみのあるキャラクターへ変化していきました。その流れは現代まで脈々と受け継がれていきます。


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